仲間の話

EAのなかでの回復

依存症と神経症の ちの

 機能不全の家庭に育ち、ひたすら良い子をやってきた私の反乱は、 中学2年の後半で学年で1位、2位だった勉強を一切止めてしまったことから始まった。

 その頃からもう、自律神経がおかしく、胃薬なしでは、一口も物を食べることができなかった。 口に食べ物を、もっていっただけで、胃が痛くなるのを感じた。 朝は、「おはよう」も言わず出かけ、昼も食べるのがいやで、一人で図書室にいることもあった。 疲れやすく肩こりがひどく、下痢にもよくなった。 階段を登るのが苦痛で、「この年でもう人生に疲れている」と、言っていた。 登校拒否をして、歯医者のトイレや、自分の部屋のタンスに閉じこもることもあった。

 高校に入った頃には、すでに親のナポレオンを盗み酒し、部屋を真っ暗にしては、死にたいと泣いていた。 深酒をして、保健室に運ばれ、梅酒を飲んだことにしてもらい、停学をまぬがれたこともあった。

 17歳で食べ吐きが始まり、大学も行けない状態になり、24歳で初めて医大に、 摂食障害と神経症で入院してから、10年間、病院を出たり入ったりの生活が始まった。


 医大を退院してから、腸炎発作のうえ食べるのを拒み総合病院に入院。 トイレに鍵のない閉鎖病棟で、20年も、30年も、ここにいるだろうなと思われる人達と過ごした精神病院を、 1年で退院して、6日後には飛び降り再入院。 そこから、刑務所のようなアディクションの病院に転院して、1年くらいで退院したと思ったら、 1週間後の外来で体重減少で再入院。

 その後、叔母にあずけられ、でも結局は、DR.に、 「ここら辺一帯の、かなり具合の悪いのばっかり、いる病院だけどいいの?」と言われた精神病院に入院。 そこから、転院した開放のアディクションの病院では、5回強制退院になっている。

 実際の所、4回目の強制退院の時、親が来て強制送還される所を、逃げ出して、結局はまた飛び降り、 整形に4ヵ月入院して、家が倒産し、どうしようもなくもとのアディクションの病院に入院させてもらったのに、 半月もしないうちに、院内飲酒で、強制退院。

 7つの病院に入院し、その中の4つの病院で7回正月をむかえている。 一生このまま、病院の中の暮らしだろうと思ったこともある。 閉鎖の病院でなければ、生きていけないと思った。 窓に柵のある病院の中しか、休まることができなかった。


 家に帰りたくないと思っただけで、4時間ひきつけの発作を起こしたこともある。 夕方ぐらいからドキドキが始まり、死ぬほど苦しくて、 一晩中はなれの家でかけずりまわったり、じたばたしたり、、、。 パニック発作がおさまったのは、朝の6時だったこともある。

「私はこの人に嫌われている。」と思っただけで発作を起こし、自分から保護室にいれて下さいと言ったこともある。
サングラスなしでは、外を歩けなかったこと。
電話のベルの音、テレビの中のファクスの発信音、コンピュータゲームの音、あらゆる機械音が気になって、チック症状が出て困ったこと。
電車の線路に吸い込まれそうになったこと。
手首を切るのを止めてから、体中をかきむしってしまうようになって、夏でも長袖、長ズボンで過ごし、皮膚科に通わなければならなくなったこと。
男性をナイフで切りつけたこと・・・

私の問題にはきりがない。


病院の院長には「どうするの?東京で死んだら、お線香の一本でもあげてやるよ。」と言われた。 飛び出すように病院生活から縁を切った、いや本当の所、診てもらいたいと思った先生に、「あーの先生に治せなかった人を、私が治せるわけがない!」と丁寧に断られるような状態で、生活保護をうけ、ひとり暮らしを始めた。 生きていくことが、どうにもならない人間だった。


いろんなミーティングに、通いはじめて3年。EAは2年。
19年間吐き続けていた摂食障害が止まった。
中学の頃好きだった洋楽を、また楽しむことが出来るようになった。
15年ぶりに海へ行った。
テニスで、汗が目にしみるのを、初めて知った。
なにより助かっているのは、「際限のないこだわり」がなくなってきた。
いいかげんに生き、NO!と言えるようになった。


 道に落ちているゴミが、気になってしょうがなかった。 空き缶が落ちているのは、自分が拾わないせいのようで、 苦しくて「ごめんなさい ごめんなさい」と、心で思った。 雨の日に、傘をさしていない人を見ると、自分の傘を差し出さないといけないような衝動にかられ、 「じゃあ、自分はどうするの?そんなことをしたら、変な人だと思われる。変な人だと思われる。」と言い聞かせて歩いた。

そんな毎日だったのに・・・


 不潔恐怖はやわらぎ、共依存的な考えは、少なくなり、病気の人間には、あまり興味がなくなってきた。 誰にも彼にも、声をかけなくてはいけない、とは思わなくなった。 具合の悪い時に、無理して笑うことは、なくなった。助けてもらいたい時には、人にたのめるようになってきた。


 私は変わった事は、何もしていない。 病院でもやっていた、ミーティングに通い続けていただけ。 だけど、私は今まで、こんなに自分のことを人に話した事があっただろうか。 話せた仲間がいただろうか。 仲間からもらった物は、気づきだった。

 生きている意味がない。生きている価値がない。まだそんな自分がときどき出てきたりもする。 でも、ミーティングに来ている人達の中で、今日死んでもいい人が一人でもいるだろうか?

 だけど、私もその中の一人なんだよ・・・ 生まれて初めて、生きてて良かったと思った。


生かされていると気づいた。
「たいくつだ、生きててもしょうがない。」と思うのは、生きる欲望なんだと知った。
もっとより良く生きたいと、もっと成長したいという欲望なんだと。
生き続けるために、生き残るために必要な。
DNAが、タンパク質をつくり続けるための・・・

 私が救われているのは、EAのプログラムのステップと伝統が好きだということ。 私が言えるのは、
ひとりでは、どうすることも出来なかったということ。
こんなにもひどい自分でも、回復をあきらめなかったということ。
あとは仲間をうらぎらない生き方をしたい。
いつのまにか、「生きているだけでいいんだよ」と、仲間に言っている自分がいる。