仲間の話

共依存のやみの中から(4)

とび

 わたしがグループ・ミーティングに通い初めたときにいた人たちも いつのまにかいなくなっってしまっていました。 気がつくと、わたしが一番長いメンバーになっていました。 そのうちに司会の人も戻ってくるだろう、昔からの人たちも帰ってくるだろう、そう思いました。 ですが、帰ってきませんでした。

 誰かやってくれる人を待っていました。わたしなんかまだまだ資格もない、そうも思いました。 ですが、いつまで待っても古いメンバーは帰ってきませんでした。

 誰も代わりにグループの運営をするひとがいない状況が3ヶ月つづいて、 わたしがチェアマンをひきうけなくちゃいけない、そう思いました。でもわたしにはできるとは思えませんでした。 そこで、もう1人、ミーティングにきている人に頼んで2人でチェアマンをすることにしました

 わたしがそう決めたとき、ミーティングに来ていたのは3人だけでした。 3人で話をして、わたしたちはグループの運営を引き受けることにしました。

 交代でミーティングの司会をしました。早くきた方が部屋の椅子を並べ、終った後はもう1人がかたづけました。 初めてきた人に声をかけ、ミーティングの説明をしました。

 はじめて会う人に声をかけるのは、わたしにとっては苦手なことでした。 ミーティングの司会のときには、なんとかごく簡単な説明だけをしていました。

 わたしは司会者なんてできない、そう思っていました。 司会を引き受けたとき、わたしはみんなに頼ろうと思いました。そうして、司会者を別の人にも頼みました。 グループの運営を、他の人にも手伝ってもらいました。 それまで、責任というものから逃げ回っていたのに、ほんのすこしだけ責任を持つことにしました。 グループのみんなは頼んだらこころよく引き受けてくれました。

 ミーティングで話をするときには、なるべく誰でもわかるような話をしようとしました。 そうすると、自分の話にくいことをごまかせなくなりました。 自分に逃げない、そう言い聞かせてミーティングにのぞみました。 話をするときは緊張して、手が冷たくなっているのが自分でもわかりました。

 ミーティングの部屋の中では、なるべく来た人に心配りをするようにしました。 自分から話しかけ、はじめての人には真っ先に声をかけました。 そんなことができる自分に、本当におどろきました。 そして、自分はすこしよいことができると自分をほめる気持ちになりました。それがとてもうれしく感じました。

 ミーティングの部屋の外でも、すこし親切をしてみました。 たとえば、とびらの前で来る人を待つこと、目が会った人に挨拶をすること、 道をたずねる人にていねいに答えること。 そんなちょっとした親切に、ありがとうと言ってくれる人がいました。 言ってくれなくても、よいことができたというよろこびを感じました。 はじめて、自分はいいこともできるのだと知りました。

 ミーティングのチェアマンを1年近くつづけた後、別の人にチェアマンを変わりました。 チェアマンを変わって、すこしほっとしました。 それまで、無理してもミーティングに行っていたのに、 チェアマンを変わってから1ヶ月ほどミーティングを休みました。 それまでずいぶんよくなっていたように感じていたのですが、両親と大げんかをしてしまいました。 そして、そのためしばらく落ち込みました。やっぱりわたしにはミーティングが必要なんだと思いました。

 今もわたしはミーティングに通っています。 グループではいつのまにか一番長いメンバーの1人になってしまいました。 実際、わたしがはじめてグループ・ミーティングにきた頃のメンバーはもうほとんど残っていません。

 ある人は引越しをして、新しい場所にミーティングを開きました。 ある人は、別のグループに通っているそうです。 わたしも別の会場のミーティングに変わり、そこでグループの世話係をしています。

 私自身の「共依存」性は今も私のなかにあります。 ですが、以前に比べもっと力を抜いてもいいのだと感じています。 以前は何でもわたしの力で解決しなければいけないと思っていました。 わたしは強くならなければ、と思っていました。

 「他人に迷惑をかけてはいけない」わたしはこう教えられました。 この言葉を、わたしは何でもわたしひとりでしなくちゃいけないと思ってきました。 グループを通してわたしはこの間違いを知りました。

 わたしは一人では生きることがでない弱い人間です。いつも他の人に支えられて生きています。 たくさんの人のちょっとした愛情で支えられています。 そして、わたしもちょとした愛情をお返ししていけばいいだと思っています。 ちょっとした愛情をお返しするよろこびを、わたしはグループを通して知りました。

 昨年の春、わたしに転勤の話が出ました。このことでひどく動転してしまいました。 毎日転勤のことを考え、ゆううつでした。 履歴書を書くようにいわれたのですが、締め切りぎりぎりまで書く気になりませんでした。

 ミーティングの会場に行った時、壁に貼っていたポスターが目に止まりました。 そこにはこう書いてありました。

「神さま、この苦悩をとりのぞいてください。 しかし、これがわたしに必要なら、わたしにのりこえる力をあたえてください。」

 これを目にして、わたしは救われた気持ちがしました。 転勤になったとしても、それはわたしにとって必要なことなんだ、そう思いました。 次の日、私は書類を出しました。

 結局転勤の話はいつのまにか立消えになってしまいました。 ですが、あの「事件」を通して、わたしは自分の回りを吹いている「風」のような存在を感じました。 いままでわたしは風に逆らって自分の自我を押し通してきていました。自分で何とかしようとしてきました。 ですが、風に逆らわず、風に流れて生きる方がずっと楽に生きることができました。

 わたしは今日、この日を生きます。過去に捕らわれず、未来を恐れず生きていきます。 私のなかに吹く風に身をまかせ、風の流れのなかに身をおいて生きていきます。 これからどのようにいきていくのかはわかりませんが、 どこへ行ってもわたしにとってのりこえられない壁はないと思っています。 迷ったときや苦しいときには、自分の中の風に問いかけ、その答に耳をすませていけばいいのだと思っています。

 自助グループを通して、わたしは共依存から救われました。 共依存に陥りがちな心は今も自分の中にあります。 ですが、わたしはこれからも成長し続けているのだと感じています。

 私のはなしはこれで終りです。いままで読んでいただき、ありがとうございます。 もしあなたが苦しんでいるなら、一人で悩むかわりに、 自分とおなじ苦しみを持っている仲間がいることを思い出してください。 どれほど深い苦しみも、いつかは終りがくることを信じてください。

 どれほど厚い雲も、その上は青空がひろがっているのですから。。。